第7章 音楽を超えて 

音楽のルーツを辿ると音楽についての記述がある最古の文書は旧約聖書だそうですが、そこにユバルという人物の名前が出てきます。


聖書には人間の家系の歴史が出ていて、ユバルという音楽人も結局いわゆるアダムとエバに行き着くのですが、そういう意味では、ジプシーより深いルーツを共有しているのが我々であり、こだわり過ぎない限り、誰がどんな音楽をしようと特に問題はないようです(笑)。


問題は、音楽をなぜ、なんのために、どのようにするか。それは自分でかんがえないといけない・・・。


そう考えてみると音楽にこだわって生きてきたが「その前に、もっとこだわるべきは、人生だった」幸福に生きるということの意味を知る必要があったようです。


生きる目的も分からず彷徨う無計画で長続きしない敗北者的な人生を送っていた私が結果的には音楽を通して、様々な出会いを経験することになりました。それらは音楽を探求して、もがいていなければ出会えない出会いだっただろうと振り返ります。 生きる目的を求めて音楽を離れた時期もありました。泥まみれの力仕事から、物流、運送、販売、教育関係、事務職etc.・・・様々な仕事も経験し悟りを得たくて座禅をし神の声が聞きたくて教会に奉仕した経験もあります。音楽を忘れたほうがよいと考えたときもありました。でも、いつも残って私を励まし、また現れては弾いてくれよとささやくギターがあったのは不思議です。


細かい話は割愛させていただきますが、タイプの異なる人たちと出会い、日本以外の国や異なる文化で生きる人たちと出会い、苦しいことにも楽しいことにも出会い、そして神と出会い、価値観が変化し、海を越えて妻と出会い、子どもたちと出会い、家族というごく身近で忘れかけていた宝ものを見出すに至った・・・。 こう表現してみると少しドラマチック過ぎる感じに聞こえるかもしれませんね(笑)。それらもみな神様がたくらんだ仕掛けかと思え・・・。 日常の中の小さな喜びを、家族がいるからこそ、家族であるからこそ感じることができる・・・。そこに音楽は微笑み花を添えてくれる・・・。


音楽は、全ての人に与えられた天からの贈り物であると考えるようになてっいきました。神の存在を意識するようになってはじめて、ヘンなこだわりから解かれたような気がします。


音楽を通して私たちは多大なる恩恵を受けてきました。今も、そうですよね。私個人としても、これまでお話してきましたように、紛れも無い事実です。 その与えられた貴重な賜物、どのように使えと願われているのだろうか・・・?


私にとっては、私たちには神と人、そして家族、などの関係がまずあって、そこに音楽が関わるということに過ぎない・・・。というのが答えでした。そういう位置関係で見てはじめて、ギター音楽でどういうことがしたいのか自分なりに見えてきたような気がします。 歴史的にも地理的にも魂に響く、心に残る音楽は単に音だけでなくその背後に何かがあり、知ってみるとやはり深い世界があってそういう人たちの生き様が音楽に染み込んでいた・・・。


そういうもの、音楽を生きるという者となりたいと今日もまた、努力を重ね、精進しようと怠け者な自分にはっぱをかけて歩んでいる私です。


もちろん四六時中こんなディープな問答をしながらギターを弾いてるわけではないしそんな話をレッスンでし始めたら弾く時間が無くなってどうしようもない(笑)のですが、根底にどんな思いを持って今音楽しているのか・・・そんなことを聞いて見たいという方がいたとしたら(いないかな?笑)、何か共鳴する部分があるぞ、そうだと感じる方がいらっやるかも、何かつながるきっかけになるかもしれない、そう思って、長々と自分自身について書きました。

 

 

最後まで読んでくださり、ほんとうにありがとうございました!あなたの素晴らしいギターライフ、音楽生活をお祈りいたします。

                                         森  充  

 

 

 

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 第1章:金沢

 第2章:大阪

 第3章:静岡

 第4章:日本

 第5章:スペイン

 第6章:帰国後

 第7章:音楽を超えて

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