第1章 金沢時代

kanazawajo

 

この頃はロックとクラシックピアノがBGM、ギターはエレキとフォークを弾いていました。


私は1974年、金沢市に生まれたごく普通の男子。3歳のころ両親からバイオリンを勧められたそうですが、見向きもせず・・・。それ以降、16でエレキを手にするまで楽器とは縁遠い歳月を送りました。


中学時代からBOOWYをはじめ当時のJ-Rockの影響でバンドやギターに憧れをいだくようになり高校に上がったらエレキを始めてバンドをやるんだと固く決意したことを思い出します。とはいうものの軽音部が問題を起こして廃部になっていた母校では、エレキを始めるきっかけがなかなかつかめず、1年間は不本意ながら、普通に運動部で汗を流していました。 高2になる直前にやっとバンドができそうな友人たちと出会い、ついにレスポール・モデルのエレキギターを購入・・・このようにギターを始めたのはけして早かった(一般的な音楽家のように幼い頃から始めていた)訳ではなかったのです。このことは、このあとも常に私の心の中の大きな不安材料の一つとして残っていきました。


ギター小僧へと転身した私は例に漏れず(?)、ギターに熱中しました。そのうちバンドでライブをするようになり、学生時代はそれだけでエンジョイできました。


ギターの嗜好としては、次第に洋楽へと移りオジーオズボーン(OzzyOsbourne1948~)、ナイトレンジャー(NightRanger1982~)、イングヴェイ(YngwieMalmsteen1963~)、などクラシカルな要素を含むハードロックを好むようになりました。


大学進学が迫り、バンドは解散、普通に受験勉強をしていました。そのころから、将来のこと、人生のことなど色々考えるようになったものです。目的もなく、はっきりせず、何となく受験の波にのまれ勉強していたので、やがて電池が切れたように勉強のモチベーションはダウン↓↓


当時の私は自分のことしか考えられなかったボウヤだったので、「俺がしたいことは何なんだ、何をすべきなのか」などと偉そうに苦悶したりもしました。そうして大学にいく意味を見失ってゆき、とうとう受験中論述試験の用紙に「俺は音楽がやりたいんだ!」などと長々と告白文を書いてしまう・・・。


このとき音大を目指して心機一転がんばればよかったのに、世間を知らない若僧は、思い込みも激しく「3歳からピアノやバイオリンもやっていない俺が音大の試験に受かれる訳が無い。問題の意味も分からないだろう・・・」などと結論付けて、何の努力もせず、あきらめたのでした。 その後、父の説教を受けて、とにかく大学に進学するということで、浪人することになったのですが、その一年は勉強にはやはり身が入りませんでした。勉強しに行くと言いながら図書館で読書にふけった日々を思い出すものです。今となっては内容はかなり忘れてしまったのですが、ベートーベンからジョンレノンまで実に様々な音楽家の伝記本を読みました。これはとてもプラスになったと思います。また、徐々に自分を大胆ししていったようでもあります。 浪人中、「大学は行かずに音楽の専門学校に行く!」と言っては親と意見が食い違い、何度となく説得されました。結局、ノーマルに音大に行けなくても、そういう系の人たち(当時、音符も読めないロック出身の私は音大生に対して何か一つのリスペクトないし恐れを抱いていた)と出会える環境があればと思い、教育大学を選ぶことにしました。教育大学の中には芸術学科・音楽学科がある学校もあるので・・・。


とにかく目的は音楽。親の願いとバランスの取れるところで大阪の大学に行くことにしました。勉強しなかったのですが、受験は特に問題ありませんでした。

 

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 第1章:金沢

 第2章:大阪

 第3章:静岡

 第4章:日本

 第5章:スペイン

 第6章:帰国後

 第7章:音楽を超えて

 ミッションステートメント