「ルネ・マルタン プロデュースの極意」(林田直樹著)を読んで。
ラ・フォル・ジュルネ(LFJ)という音楽祭をご存知だろうか。フランスのナントという地方都市から始まり、東京や実は、金沢にも上陸した、世界規模のクラシック音楽祭だ。普段着でOK、子連れでOK、一日中いてOK、しかも格安。「クラシック音楽を街のお祭りにする」という発想で、ヨーロッパを席巻してきた。その創設者がルネ・マルタン。リヒテルなど巨匠のそばで世話をしながら経験と感性と想像力に磨きをかけ膨大な人脈を持つ類まれな人物だった。そこには愛で人と人自分と他者が結ばれ共に夢をストーリーを実現してゆくという文化的創造的行為を実践して来た人間の生き様と教訓が語られている。
ビジョンを「共有する」とはどういうことか
彼の仕事で印象深いのが、音楽祭の開幕前に、スタッフ全員——演奏家ではない、裏方の全階層の人たち——に2時間以上かけて「この音楽祭はなんのためにあるのか」を説明するという習慣だった。その目的は、スタッフ一人ひとりがその音楽祭の「代弁者」として動けるようになること。単なる周知ではなく、精神の移植とでも言うべき行為だ。
ビジョンとは語るものではなく、人に宿らせるもの——そのことをあらためて考えさせられた。
聴衆を「お客さん」から「脚本家」へ
LFJの設計で面白いのは、膨大なプログラムの中から来場者自身が何を聴くかを選ぶ、という構造にある。ワークショップや教育機関との連携企画も組み込まれ、音楽体験が「与えられるもの」から「自分で組み立てるもの」になっている。
「音楽と聴衆の関係性を変革する」という言葉が本書に出てくるが、その言葉通りのことを、彼は具体的な設計で実現してきた。
その他、印象に残った言葉や内容を書いておく。
・「夢を実現させる場をつくる」具体的には無数にあるコンサートプログラムを聞く人本人が脚本家となって何を聞くかを決めることが出来ることやワークショップなどの体験プログラムを挿入することで好奇心と可能性を刺激する仕掛けに満ちている
・開かれた学校とのコラボ企画など教育や啓蒙を意識した音楽祭+毎回ストーリー性を意識した構成
・ 「音楽祭やコンサートのプロデューサーの責任は大きいのです。なぜ、あるアーティストを呼んで、別のアーティストを呼ばなかったのか。その選択に責任を負いながら毎年注意深く企画を作っていくことで、できるだけ公正な音楽の風景を描き出さなければいけない」
・「官僚的組織のトップへの敬意を忘れずに、しかし堂々と自分の意見を述べ、議論することのできる人物を探すこと。そこに打開への道はある。」
・ストーリーを持っていることで新しく何も知らないメンバーが来ても共有可能
・どんなに大成功でも批判的反省振り返りが重要
・「音楽を学んだ子どもは、のちに学力で行き詰まることはないといわれている」
・「新潟でのラ・フォル・ジュルネでは、被災したオーケストラということで仙台フィルが来て、ベートーヴェンの『皇帝』をやったのですが、〝仙台フィルがんばれ、仙台フィルありがとう〟という大きな布が広げられて、あのときホールに集まった人たちはみんな泣いていました。そこで撮った写真は一生大事にしています。あれだけの悲劇的なことがあっても、何があろうと、最後にはベートーヴェンが勝利を収める──そういう写真ですから」
金沢のLFJが終わった理由
実は金沢でもLFJは開催されていたが、今は「ガルガンティア音楽祭」という独自のかたちへと移行している。理由のひとつは、本部の統制が強く地元のニーズに即した企画や選曲がほとんど通らなかったこと、そして高額なライセンス料の問題だったという。
外から持ち込まれた完成されたビジョンでも、地元の土に根を張れなければ長続きしない。逆に言えば、地域発の、多少不格好でも自分たちのストーリーの方が、最終的には強いのかもしれない——そんなことを考えながら読んだ。
