「はつげん」という言葉。弦を弾くの「撥弦」、ものごとの始まりや湧きいずる源の「発源」、そしてその実体が現れてゆくという「発現」を全て含ませることが出来る表現。
令和8年度、新しい出発にこの言葉を選びました。
それは「安堵」だった
日取りまで味方してくれていたことには、後々驚いた。神様のいたずらかとさえ思った。
全体合奏の他に6つのグループ演奏を加えての合計10曲は、そもそも「1時間もの持ち時間、どうやって持たせるか?」から出た構成案だった。なぜならまだ楽団全体として演奏できる曲が4曲しかなかったから。だから「タイムリミット」なんて思いもよらなかった。会場の搬入エレベーターが終演後30分にあたる15時半に止まるよう設定されているなんて、誰も教えてくれなかったのだから。
6つの異なるグループの入れ替えを含めたステージで、フル機材、すべて自前。音響業者は雇っていない。メンバーたちのことも全体のサウンドも知らない外部の業者に大金をかけてお願いしたところで、思い通りにはならないだろう——それは簡単に予測できた。腹を括って自力でやるつもりだった。後でリサーチすると今回の規模の音響を外注すれば20万円規模だと分かり、ハッとした。これまで自分を過小評価しすぎていたことも悟った。
結果は15時ジャストに公演終了。神がかり的なタイムラップだった。なにせちょうど聴衆に挨拶し片付けに入ろうと電光掲示時計を見上げたら、14:59から15:00に変わった瞬間だったのだから。そしてすぐに、エレベーターの時限装置との闘いが始まった。3台のミキサーと5個のスピーカー、20チャンネル分ものケーブルやマイク、楽器等々を運び出す。そのさなかに某社の記者が「今しか取材の時間がない」と迫ってきた。こちらの事情など構わず「皆さん白山市の方々ですか」などと聞いてくる。それはホームページで調べてほしいレベルの話だ。
そうして、すべてが終わった。
あの瞬間、私が感じたのは興奮でも達成感でもなかった。安堵だった。
機材が持ちこたえてくれた。時間も守れた。そして何より——団員たちが、誰に促されるでもなく、自然に笑顔になっていた。興奮しながら、でも満足げに。その光景を見て、初めて息ができた気がした。
あれが「音楽の生態系」の姿だと思う。誰かに演じさせたわけじゃない。あの場所に集まった人たちが、音楽を通じて自然にそうなった。
令和7年度、つながった
初夏には小イベントでウォームアップ、秋には市民音楽祭の第2戦目、年末の音叉来会は教室発表会という次元を超えてIcMF-BigBandに関わるみんなに開かれたとともに、そこで出来たアンサンブルをベースに3月年度末の展望ロビー単独コンサートを実現させた。これらはつながっていた、意図的なのか意図せずなのかは分からない。いや、どっちだっていいだろう。
とくに県庁という巨大な城の最上階での公演でははっきりと分かった。「全て自前でやれるし、やるほうが断然いい結果を生み出せる」ということを。人員も人材も勢揃いなのに音響屋さんを呼ぶなんてコスパが悪すぎる。団員たちの個性豊かなステージを、まず団員たち自身が楽しみたいのだ。そしてそんなみんなの音を一斉に響かせる瞬間(BigBand演奏)も他にマネのできない唯一無二のものだ。
他方、まだ十分ないことも。サポートしてくださった先生方への謝礼、満足にお渡しできていない。そのことは今も心苦しい。SNSももう少し活用出来たはず。それでもこれだけのことができたのは、団員たちが来てくれたからだ。リハに来て、本番に来て、時に機材を一緒に運んでくれた。
こうして見ると、まだ色が塗られてない部分もあるが、全てのピースがつながった。
「このまま」ではいけない理由
正直に書く。
私はいつまでも若くない。
教室のレッスン収益だけが頼りの経営であれば、これからの私にはリスクが高まってゆく。また、これからの時代にも合ってない気がする。結局「音楽では食えない」——その言葉は、他人事として聞き流せるほど軽くはない。むしろ、トゲの付いた鉛である。
さらにもっと根本的な問題もある。
いま私が倒れたら、この生態系はすべて止まる。
レッスンも、楽団も、スタジオも、発表会も、公演も。すべてが私一人を軸に回っているから。これは今の仕組みの最大の弱点だ。
315のあの瞬間を、一過性の思い出にしたくない。10年後も、20年後も、この地域で音楽が続いていてほしい。そのためには、「森充一人に依存しない仕組み」を今のうちに作らなければならない。
既存の音楽インフラが抱える問題
これは私だけの問題じゃない。
大手楽器店や音楽教室チェーンは、講師を消耗品のように扱い、月謝の大半を中抜きする。音楽NPOや行政の文化事業は助成金に依存し、予算が切れれば静かに消えていく。ホテルのディナーライブは音楽家を低単価な添え物として使う。音楽大学は学生相手にブランドを売りながら、生存戦略は教えない。
悪意があるわけじゃない。それぞれに歴史と誠意がある。ただ、その構造の中では、音楽家が自立してゆく道が育ちにくい。
私自身も、地元新聞社のカルチャー教室展開を考えたことがある。相談したとき、最初に言われたのは「宣伝効果にはなるだろうから、収入には期待しないで」ということだった。指名度が上がれば十分だという考え方は理解できなくはない。ただ実際に動き出してみると、いかにも仕事が出来そうな態度の担当者が作ってきたチラシは「あぁ、この人、音楽も広告も素人なんだな」というレベルだった。それ以来、その方向は自分には合わないと判断した。
また、音楽活動において「ステージ」という果実を得るために生徒や愛好家が払う代償は、意外と高額で不透明だ。一回の発表会で、参加費・伴奏料・追加レッスン・衣装と積み上がれば、3〜5万円を超えることも珍しくない。その大半は主催側の運営費や看板代に消え、音楽の記憶や資産として手元に残るものは少ない。
この地域にも、長年にわたって音楽文化を支えてきた団体や個人がいる。その努力と献身には、心から敬意を感じている。ただ同時に、善意と個人の力だけで続けてきた仕組みは、未来が見通せず、そもそも設計図さえもあったか分からない。補助金頼りの運営は今も何も変化がない。いまだにデジタルを使わない広報が市民にイベントの存在を知らせない。熱意ある一人の資産を基金とした奨学金事業は毎年残高だけが減ってゆく。
持続する仕組みをつくること。それが私の問いだ。
私が目指しているのは、既存の活動を否定することではなく、その外側にもう一つの選択肢をつくることだ。ビオトープでは、ステージへの参加は特別な出費ではなく、日常の積み立ての延長になる。
「自分で作ったほうがいい」——音叉来会と技術的制約フリー楽団
そんな違和感が積み重なっていたから、こう考えたのはごく自然だった。
「ならば、自分で作ればいい」。
その答えの一つが配信型音楽祭「音叉来会(おんさらいかい)」だ。これはコロナ禍の副産物として始まったにもかかわらず、全く新しい価値を持つパッケージとなった。それは発表の機会(演奏の本番)だけでなく、写真館での記念撮影音楽版とも言える晴れの動画が残せて、配信という共有手段によるリアル演奏会の時間空間的制約からも解放される(色んな人に見てもらえる)。さらにはリモートアンサンブル(別撮り後編集)という合奏スタイルも誕生した。
📌 音叉来会の軌跡:おんさらいかいの価値 ブログ記事
もう一つが、「技術的制約フリー楽団」としてのIcMF-BigBandだ。楽器も出発点もジャンルも問わない。完成された楽譜を精密に再現するようなプロオーケストラを目指すのではなく、今その人が持っているもので一緒に音を出すことに第一義がある。「上手くなったなら参加できる」ではなく、「今の自分で参加できる」。その発想は、音楽における「技術主義」への違和感から自然に生まれた。技術的条件が付けばつくほど、音楽に囲まれる人は少なくなる。逆に、「今の自分のままが歓迎される」と知ったとき、人は音楽に生きがいを見つける。そう、音楽は誰のもの?一部の限られたエリートだけのものでは無い。全ての人々に平等に与えられている。もちろん成長のカギは自分自身が持っているが。
📌 IcMF-BigBandの軌跡:白山市文化協会 登録ページ
この二つの取り組みは、なにも既存のインフラへの不満から生まれたのではない。もっと「正気な」方法があるはずだ、という、ごく素直な直感から生まれた。
「音楽ビオトープ」とは何か

「ビオトープ」という言葉がある。生き物が自然に共生する生態系のことだ。
私が白山市に作ろうとしているのは、音楽の生態系だ。
楽器が弾ける人も、始めたばかりの人も。プロも、アマも。子どもも、高齢者も。ギターもウクレレもフルートも。世代も技術も楽器の種類も関係なく、音楽を通じて人が集まり、演奏し、聴き、教え合い、刺激を与え合う。
ICMFとは「Ideal Community with Music as a Family」——家族のように音楽を共にする理想のコミュニティ。音楽は「うまい・へた」ではない。音楽を通じて、人としての価値を再確認できる。
あの315の笑顔が、その証明だったと思っている。
ビオトープの優位性と設計思想
令和8年度、新しい仕組み
長くなりましたが、上記のような経緯から、この生態系を続けていくために、2026年5月から新しい取り組みが始まっています。
一言で言えば「関わるほど得をする。この場を一緒に育てていく仕組み」
月額数千円で場を支えてもらい、活動に熱心な方ほどお得になる設計。レッスン生もBigBand団員も、それぞれの関わり方に応じた形で参加できる。楽譜も、スタジオも、公演も、会員として守られる仕組みにしていきたいと思っています。
具体的内容はこちらのページで確認できます。
あの笑顔、あの音楽が響く場が、この先も続いてゆくには?10年先も、もっと先にも・・・。そのために何が必要か。それがこの新しい仕組みを始める理由です。
「自分が演奏出来て、みんなで演奏できて、聴いてくれる見てくれる人たちがいて、それに必要なものがすべて含まれていて、時間とともに成長してゆく環境と日常・・・」
そう言える仕組みを、みなさんと一緒に作っていきたいと、本気で考えています。
