新しい教室で迎えた最初の冬を振り返り

森充ギター教室の大雪、白山がたいそう美しく

2018年に入り、1月13日と2月6日(記憶では・・・)からの数日間、ここ石川県でも記録的な大雪となりました。冬将軍の圧倒的な強さに苦戦の日々・・・。様々な事故のニュースをはじめ、身近なところでも交通機関のマヒや仕事のキャンセル、食料品など生活に直結する流通が滞ったり、子たちの学校が連日休みになったり、駐車場が機能しなくなったり、様々な影響が出ました。雪搔きや自宅待機の時間が多くなり、現実世界は何も進まず冬眠してたかのよう、気が付けば2月も終わる!・・・遅れを取り戻そうとあくせくしてしまった方も多かったのではないでしょうか?

めったにないこの大雪(そうであることを祈る・・・)ゆえに良かったこと(個人的なことです)、書き留めておきたいと思います☆

 

ひとつは歯医者に行けたこと。連日大雪の中歩いて数軒先の歯医者さんへ行きました。激痛が走りだした矢先、積雪が幸いして他の患者がおらず独り占め状態で集中治療が受けられてすっかり復活できました!

 

もうひとつは美しい白山を見れたことです。街ですっかり雪が融けたあとでも白山だけは異質な白さをもってそびえたっていました☆

 

そしていまさらながらの大発見☆ギター教室前の道路が融雪装置付きでこの雪でも車が通れたこと!です♪♪・・・もちろんほとんどの方が予定をキャンセルしてレッスンには来られませんでしたが^^;教室前の道さえ大丈夫ならそれ以外はJR松任駅前からの大通りが通れますからほぼどのコースからの来客にも耐えうる、なかなかの立地だとあらためて嬉しくなりました。今後とも森充ギター教室をどうぞよろしくお願い致しますm(__)m

 

 

ところで、この雪の日々に音楽について考えながら悟ったこと(ひらめいたこと)がありました。私なりのまとめとして記録しておきたいと思います。

聴衆が感動した姿を通して得る刺激的喜びが自分にもかえってくる。それが音楽をやりたいと思う動かしがたい動機の一つであることは間違いない。

 

しかし聴衆の反応とは無関係に私たちの音楽的欲求、表現欲というものが存在するのも確かである。それは楽譜つまり音符の構成作業なのかというとそうでは無い。楽譜に書かれたものを演奏するという行為は心のままの表現でないわけではないが、2番煎じだと言える。本当は心にある何かを自由に羽ばたかせたいのだ。見えない心のエネルギー、気持ち、感情、心情、こういうものが外に解き放たれる、解き放ちたいというところではないだろうか。

 

一定の演奏技術と耳(心の耳)と意志とがあれば自分一人で音楽というフォーマットの上で自由になれる。ソロ演奏の目指す頂きがここではないだろうか。音楽の中で自由を得る、自由に羽ばたけるということである。

 

また一方で、誰かと共に音楽体験を共有し演奏をすることを楽しむということがある。(大)合奏の中で自分の役割を果たしてチームで音楽を作り上げるというときの喜びがある。

 

ひとつには合奏の中で自分なりの演奏をしてみんなで作り上げる醍醐味。ともう一つソロで完全に自由に奏でるという快感。この二つが演奏する側からみた純粋なプレイする楽しさである。これは音楽を演奏することの私的・個体的目的である。自分自身のための音楽することの意義。

 

では音楽することは、他者のために何か役に立つのか、意味を持つのか?

 

対象に向かって演奏することで感動を与えることがある。その感動は誰かの心の癒しや刺激、健康増進などにプラスの作用をするかもしれない。そう作用することを歓迎しない奏者はいないだろう。

 

さらに音楽そのものの感動を越えて何かに貢献できる可能性もある。人間の霊性を高め平和をもたらすことに音楽が関与する場合がある。たとえ小さな次元であったとしても、そのような貢献につながる方向性で音楽に携わることが出来たらこんな素晴らしいことはない。こう考えるのは私だけではないはず。これが音楽をすることの公的・全体的目的である。音楽を通して他の為に生きるということである。

 

この自分のためと他の為という両者、二重目的を果たすこと、これが演奏(音楽)することの意義である。